『こころ』読書感想文の書き方と例【中学生・高校生~】

こちらでは、夏目漱石の最高傑作である『こころ』読書感想文の書き方をご紹介いたします。

おもに、中学生高校生を対象としたものですが、こちらの書き方の例を通して・・・

「感想文の文字数を増やす裏ワザ」・・もご紹介いたします。


読書感想文の提出には、1200字1600字2000文字(原稿用紙3枚、4枚、5枚)以内といった「文字数の規定」がありますが、文章を書きなれない人には、どうしても文字数が規定の量まで書けない、という人が多いものです。

そのため、こちらではどのジャンルの本にも対応できる文字数調整の裏技といえる書き方を紹介しています。

長文での感想の例を掲載していますが、800字1200字(原稿用紙2枚、3枚)といった少ない文字数の読書感想文を書く場合にも「書き方の着眼」の参考になるかと思いますのでご活用いただければ幸いです。
 
 

「こころ」夏目漱石が「あらすじ動画」で一気に分かる!

まずは、中田さんのこの動画を見ましょう!

 

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先生の若かりし頃の出来事をアニメ化した作品
Kが大柄に描かれているのにビックリ!ただ脚色だらけなのでこの動画から感想文を書くのはNG
(しっかし堺雅人さんの声優としての能力・・すばらしいです!)

後半の動画は原作にはない完全なる推論です。


各章のあらすじの詳細はこちら
『こころ』あらすじ各章
 

夏目漱石『こころ』の読書感想文の例

動画(音声)で感想を発表している方もいました。

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読書感想文の例(文字数を増やす裏ワザつき)

以下に掲載した感想文の概要
     
    「友人を出し抜いて女性を横取りしてしまったため、その友人を自殺させてしまった「先生」が、それを後悔して結局は自分も自殺をしてしまった」・・と、ストレートに解釈した場合の例

    本書を漱石が残した読者への「こころの訓練のための本だったのではないか?」と結論づけた

    文字数を増やす裏ワザとして、本の内容への感想の他に、今回の読書を通じて「読書の楽しみ方を発見できたこと」を伝える作戦を利用した。

 
■原稿とペン夏目漱石『こころ』を読んで
(2273文字)
 
旧千円札の肖像画でもある日本を代表する文豪、夏目漱石。恥ずかしながら私はこれまで、漱石の作品を読んだことがなかった。そこで課題としての読書感想文の提出に漱石の作品の中から、何か一冊選ぼうと思い、代表作ともいえる、この『こころ』を読んでみることにした。

漱石の作品を一冊も読んだことがないと述べたが、実は、本格的な小説をこれまで一度も読んだことがない私だったのだ。

私は、初めての小説を読むにあたり、途中で挫折しないように、まず、著者の漱石に興味をもつよう、周辺知識を調べることにした。

すると、漱石が小説を書くようになったのは、人間関係と病とで精神的に苦しんでいた彼を思い、友人の俳人、高浜虚子の「文章でも書けば気がまぎれるだろう」とのアドバイスからだったそうだ。それが処女作『吾輩は猫である』につながったという。つまり、文豪、夏目漱石の作家としてのスタートは、驚くことに自身の苦悩の日々に対する、単なる「気分転換」としての気楽な出発だったということだ。

しかし、その五年後、大病を患ってからの作風は、人間の心の闇をテーマとするものへと変わっていったそうだ。この『こころ』は、その後期の代表作という位置づけであるが、また漱石最大の傑作とされるものでもある。

おそらく、この下調べにより「漱石に対する興味付け」をしていなければ、私はこの『こころ』という小説を、読破することはできなかったと思う。

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私は、小説スタイルの今回の本を選んだおかげで、新しい読書の楽しみ方を発見できた。

その楽しみ方とは「もし私がカウンセラーなら、主人公や登場人物に、どのようなアドバイスをするだろうか?」という目的で小説を読むというものである。

多くの小説好きは、主人公や登場人物に対して、感情移入をしながら、つまりは、みずからを作品の中に投影しながら「主観的な視点」を交えながら読書を楽しむのかもしれない。しかし、分析的に外から、限りなく「客観的な視点」で登場人物の言動を捉えた場合、そこには、感情に流されずに「本来採るべき正しい判断」というべきものが学べるのではないかと思ったのだ。言い換えれば、小説は、感情に流されない自分を作る訓練として「実用的」な読み方をすべきと発見したのだ。

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『こころ』のストーリーについては、まったく古さを感じさせられない秀逸なものだった。友人を出し抜き、先回りして愛する人間と結婚してしまったために、その友人を自殺させてしまったことにより、結局は、その罪の意識におしつぶされて自らも自殺してしまうという悲劇である。

読書の最中に感じたことは、今でこそドラマや映画で、大量の恋愛ストーリーに触れることのできる現代だが、漱石の時代はそうはいかなかったはず。にもかかわらず、構成の素晴らしさや、文章のリズムの良さには、どういう学習を積んで身につけたものかと不思議な思いさえ感じさせられた。文豪と称される理由の一つを実感できた瞬間だった。

ストーリーも良かったわけであるが、内容以上に、漱石がサンプルとなる恋愛小説が少ない時代に、歴史的なこの名作を書き残せたという彼の才能の方にこそ、驚きを感じさせられた。
 
ざっと読み返すにあたり、カウンセラーのつもりで登場人物にアドバイスするという一種の目的をもった結果、この作品に対し、次のような捉え方をすることができた。

それは、結局のところ、男女の恋愛感情は「性衝動」に起因する問題であり、他人を死に追いやってまで成し遂げたいような恋愛感情は「精神的性病」とでもいうべき類のものである。つまり、友人を死に追いやるような判断は「性病に侵された人間ゆえの判断」だと捉えるべきものである。

そのため、もし私が、その先生にカウンセラーとしてアドバイスをするなら「友人の死は、精神的にやられていた病気の人間の言動による結果であり、幾年もの月日を苦しんできた人間を自殺に追いやるほどの責任のあるものではない」と諭すだろう。

さらに「自身で感情をコントロールできない状態とは、あたかも、他人から感情をコントロールされている状態と同じなのであり、悩む場面ではなく、むしろ怒りを覚える場面である」と理解させるだろう。

感情のコントロールができないがゆえに悩んでいる状態を「第三者に脳をコントロールされている状態」だと理解できれば、とても腹立たしく、その第三者に怒りさえ覚える。すると、感情としては、喧嘩を挑む場面と同じようにメラメラとした「力」が湧いてくるはずだ。つまり、そのような「思考の方向づけ」をもつことで「前向きになれる」のだ。

悩みを「自分の心の問題」というように「自分」に向けていたのでは、その先生のように自殺に追いやられるほど、自分の心を責めてしまうものである。読書の最中、このような「心の調律法」を発見できたことは、私にとって大変大きな収穫だった。

その先生も、異性に対し恋心が芽生える前に、このような心の調律法を知っていれば、二人の人間を自殺に追いやる事は避けられたと思う。

もし仮に、その先生がこの『こころ』という物語を読んでいたとしたらどうだろう。おそらく、若い時の誤った行動には出なかったかもしれない。つまり、本を読むことで、事前に心の予行練習をし、心に免疫のようなものを作っていたなら、彼ら二人の悲劇も避けられたかもしれない。

この小説は、人間が陥りがちな葛藤の中で、同じような失敗をしないために、漱石が私たちに残した正に「こころ」のトレーニングのための作品だったのではないだろうか。(2273文字)

便利な文字数カウンター
 

「あらすじ」だけ知っていれば何でも書ける裏ワザ

魔法のフレーズ「しかし、どういうわけか」を使い、自説をどんどん書き進める裏ワザ・・・

①まず「その本に対する一般的な解釈」を推論し、それを述べる
しかし、どういうわけか私は、そのような読み方ではなく、この本を読んで・・・

 
・・・このような展開で書き進めていけば、あなたの書く感想が、飛躍した方向に進んでしまっても、それほど抵抗なく読み進めてもらえるのです。むしろ面白い感想文だと称賛される結果になりがちです。

「あらすじ」や「その本の一般的な解釈」を知っていれば、その点を少し述べるだけで後半は「だれも関心を示さないマイナーなエピソード」や「本来的解釈を否定する自説」で、文字数を稼ぐことができるノウハウです。
 

「しかし、どういうわけか」を使った「こころ」の読書感想文の例

夏目漱石の「こころ」を読んで

この小説は夏目漱石を代表する作品である。作品の中で先生と呼ばれる人物は、若かりし頃、同居する友人を出し抜き、大家の娘を横取りして婚約してしまったことから、その友人を自殺させてしまう。その罪の意識に生涯苦しんだあげく、先生も結局、「私」に遺書を送ったあと自殺してしまうという、人間の愛情と葛藤を描いた物語とされている。

しかし、どういうわけか、私のこの小説に対する印象はまるで違うものであった。私はむしろ、ストーリーの中では脇役として描かれていた「先生の妻」にこそ、この物語の中心をみたのである。

先生は、自分が友人Kを出し抜き婚約してしまったことを、妻には隠していたというが、おそらく、私が思うに妻は、そのような流れで、Kが自殺したことを分かっていたと思うのだ。同じ家に住む若い男女三人である。若かりし頃の彼女が、二人の男が互いに自分に対して好意を持っていることなど、雰囲気として分かっていたと思うのだ。

女性は男性より勘が鋭い。出し抜かれたKが「自殺するほど好きだった」というのなら、それほどの思いに同居する女性が気づいていないはずはないだろう。

そうだとすると、この妻は・・・「とても腹の座った悪女である」というのが私の感想の中心だ。

だから「こころ」のストーリーを述べる場合「人間の愛情と葛藤を描いた物語」などではなく、私には単に

「腹グロ女に人生を翻弄された悲惨な二人の男の物語」・・となる。

(中略)

私は「こころ」を読み、漱石は次のようなメッセージを投げかけていたように思えてならない。そのメッセージとは・・・

「世の男たちよ、もっと強か(したたか)に生きよ。この女のように!」である。

私にとって死は一種の「負け」のように思えてならない。二人の男の死を知ったとしても、妻はその理由を分かっていたことを「今回も」口にすることなく、「寿命が来るまで」強かに生き長らえるのだろう。妻おそるべし、女おそるべしである。
 
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・・・この解釈は、このブログの管理人である私の考え方なのですが、このような視点から、改めて「こころ」という作品を読み直してみれば、Kの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の発言や、先生の明治天皇の崩御にともなっての自殺という内容が、当時の日本人のもつ「要らぬプライドや価値観を象徴する言動」のように思えてきます。

海外生活を経験してきた漱石には「そういう考え方は国際的にみれば要らぬ面子や価値観なんだョ!」と思え、そのような価値観が蔓延する当時の日本に、暗にそのことを伝えたかったのではないでしょうか。「強かに生きよ」ですから。

そのため私は、この小説を再読し、彼らのそのような言動の部分に触れると、思わず・・・

「あんたら、世間にダマされてますョ~~~~」
「状況をよく見ろ~~~~~~~~~~」

・・・と叫びたくなります。(笑)
 

漱石が、49歳にして早死にした理由も、じつは、当時の日本人のもつ(現代から見れば)「極右翼的かつ保守的価値観」に対し、反対意見を言おうにも言えない社会の風潮に対する「心労」がそうさせたのではないかと思うのです。 
 

「こころ」読書感想文の書き方の例

参考用に、追加いたしました。

「こころ」読書感想文の例①—————————————
 
先生の悩みは漱石の悩みであり、私の悩み、そして世界中の人間が持つ共通の悩みなのです。

先生は本当の意味で孤独だった。家族がいないとか恋人がいないなど現実的なモノと違う。先生は「人間自体を信じられない」「人間である自分も信じられない」孤独なのだ。

先生は全幅の信頼を寄せていた叔父に、両親の遺産を騙し取られていた。20歳の先生はまだまだ子供で純粋だったが故に、心の傷も疑念もより深く、その思いは親類全体への怒りへ。そしていつのまにか恋のために親友への嫉妬から騙しおとしめる、醜い自分という人間に怒りと不信感を拭い去る事が出来なくなった。

人は皆どこかで「自分は世の中の平均」「平均的」「普通の自分」でいることに安心をする。優秀なのは誇りを持てるが、それでも世の平均値でいることで人は安心できるのだ。その普通や平均の意味をどこかで善良で正しい事ととらえようとしている自分もいて、しかも現実は認めたくない自分の弱さや醜さを持っていることを知っているのだ。

人として許されざる行為や失敗をする自分や、自分自身を裏切る行為は深い自己嫌悪を植え付ける。そうなると世界で最も自分を認めず許さないのも自分自身になるので、他人からどう褒められようと自分は許されない存在になるのである。

しかし、先生のこの絶望に至る孤独感は世界中の誰もが経験し乗り越えなければならない障害なのだ。それは悪の自分もいる事を受け入れる事や、醜い自分を「善」によって償おうとすることで、人間的成長も得る事が出来るのだ。

先生は友人を死に追いやるという、たしかに取り返しのつかない罪の意識のまま、その短い生涯を孤独と罪悪感のうちに果ててしまう。先生の罪は法によって裁かれるものではないからこそ、罪のあがないは出来る事ではなかった。先生の良心はその呵責に耐えられるものではなかった。

自分を死に追いやるほどの思い詰める先生の良心は美しい。だが先生の選んだ生き方は厳しすぎる。先生は自分を否定し過ぎている。先生が自分を許せる方法は自殺以外にもあったはずだからだ。

先生を悪に走らせるほど信愛している奥さんへの愛を、他に人にも向ける事つまり善を試みることで罪のあがないができたかもしれない。先生の人生の失敗を公にすることで、反省と慎み、後へ続く若い世代に人生の教訓を伝える大きな役割も果たせたかもしれない。なのに先生の激しい自己否定はそれをする事すら許さなかったのだろうか?

先生が「自分の過去を人間の経験の一部分」として「ほかの参考に供ずるため」に遺書を書いた。先生の心中を探れば人間は弱く儚い者と認めたうえで、そんな人間を許す思いも芽生え始めていたということではないだろうか?

先生の死には賛同できない。だが先生の立場に立った時、生死の選択に揺れるかもしれない。人間は人間としての悩みは必ず抱えるモノだ。漱石はその悩みに迫られた時にどうするか?を追及したのだろう。私も心について生涯悩み続けて行くのだろう。
 

「こころ」読書感想文の例②—————————————

大正三年、夏目漱石四十八歳で朝日新聞に掲載された「こころ」。

100年以上の昔も今そして夏目漱石という優秀で五十歳を手前にした立派な大人であっても、人間の「こころ」の在り方に思い悩まされるのか?と不思議な思いから手にしたのが本作だ。

先生は、この世で唯一の血のつながりのある叔父を疑ることなく、当然信頼し、感謝と尊敬を抱いていた叔父に、財産を搾取された。それからは人間を信頼できないで憎むことさえ覚えた。

そして人間不信の心を溶かしたお嬢さんの存在が、自分の心に救いを与えるかもしれないお嬢さんに、親友Kも恋していた。先生にとっては信仰に近いほどのお嬢さんへの愛をKには打ち明ける事も出来ず、憎い恋敵を出し抜いてお嬢さんと婚約した。Kは絶望し自殺したが、先生のお嬢さんを占有への利己心を上回る後悔の念で苦しみ続ける事となる。

先生の心の中には「自分はKを騙し、絶望させ、自殺させた。人殺しである」との思いが絶えず心に絡みついていたことだろう。「イヤ違う、Kが弱いだけだ、たかが恋ぐらいで」など罪の意識を断ち切る努力もしたはずである。しかしもがけばもがくほど、罪の意識は絡みつき「自分が信じられない」境地に達した。それは自分もあの叔父と同じ人間だと意識したときであり、先生は生きる希望を失ったのだと思う。

先生は自分を軽蔑し孤独となった。「私は淋しい人間です。」ともらした先生を私は憎み軽蔑することが出来ない。先生の身を引き裂くような苦悩が我が身にも伝わり、心をつかんで離さないからだ。

だが先生の死を肯定することはできない。自殺により生きてKへの贖罪を続けることから逃避したのは間違いないからだ。先生の人生には懺悔か死そのどちらかの道しか見えていなかったのだろう。先生の真実を知るものには、その苦悩、孤独、自己不信と自己嫌悪はもう充分Kへの償いをはたしていたと思う。

「先生はエゴイズムからの脱出として死を選ぶ」と解説されている。人は先生のように恋と友の選択でエゴイズムに苦しめられる場合、自分を生かすことと、他人を生かす事そのどちらが幸福になるとは本作でも答えは出せないと思う。先生の生涯は利己的な心に奪われ、奪いそして自分の心を失ったと言える。

「造りつけの悪人がこの世の中にいるものではない。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断してはいけない」先生が叔父により実感し、自分自身も実証してしまったものだ。

先生は裏切った、騙した、奪い取った。だが世の中にはエゴイズムな人間の醜さ自体を自覚しない輩も非常に多い。油断は出来ない世の中だろう。だが奪う欲求に魅入られることなく自己に厳しくもありたい。
 

「こころ」読書感想文の例③—————————————

先生を見つめ先生の人生を見送ったのは、学生である「私」だ。

なぜか先生に惹かれるものを感じて、交流がはじめる「私」。学校より先生との時間に実りと先生の語る人生の教訓のようなことに深い魅力を感じる。そしてどこか人目を避け影のある先生の全てを知りたくもなる。
 
若者の好奇心、向学心は不透明であることを良しとしない。「私」は見ず知らずの先生の何に深く興味を持ったのだろう?真面目で勉強熱心な彼には先生の人を寄せ付けない影に探求したい人生の教訓があることを感じ取ったのであろうか?彼の目の付け所は人生論を学ぶなら良い選択眼だったと言える。なぜなら彼は生涯をかけて向き合わなければならない問題を抱えることになったからだ。

興味のあまり「真面目に人生から教訓を受けたいのです」と先生の過去を問いただす「私」は普通に考えると若さの暴走で、先生の触れてはいけない扉をこじ開けようとするデリカシーの欠如した人間に思える。だが先生は「私の過去を暴いてでもですか」と暴くという通常では聞かない言葉は、覚悟の出来ていなかった「私」に一瞬にして前にいるのは一人の罪人かと感じさせた。

言いたくない過去を持つ人に無理矢理話させるのは暴力に等しい事だろう。だが先生は「私」の真面目であるという言葉にかけた。そして「私は死ぬ前にたった一人で良いから人を信用して死にたいと思っている」「あなたはそのたった一人になれますか、なってくれますか」とまるで形勢逆転するかのように、過去を聞かせる事に前のめりになる。もしかしたらこの時先生はこれからの計画への好機と捉えたのかもしれない。

そして先生は「あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから、私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。」と長い手紙で先生の罪深き人生を語るのです。

互いに身内と縁を切り、献身的と思われる尊敬と友情を示してきたKとの関係。それはお嬢さんの存在によって関係性は揺らぎ、精神的に追い詰められた先生は自分のエゴイズムと焦りに任せKを裏切り、自殺を図られてしまう。確かに先生は泥棒猫のように卑怯者である。先生のK以前も以後も裏切りに翻弄されてきた人生。「人は平素善人でもある日突然悪人になる事もある」という事実。

「私は正直な路を歩むつもりで、つい足を滑らした馬鹿者でした。」との自白は誰にでも起こりうる悲劇とも言え、笑うことなどできない。人は大なり小なり罪を持っている。それはキリスト教の言う原罪は、その信仰心はなくともあるだろうと感じられるのと同様に人は清廉潔白で、人を傷つけずに生きる事は不可能と言えるからだ。そんな先生を悪の権化と烙印を押すことはできるだろうか?

現に「私」は先生に告白をさせたことで結果死に追いつめたと言えなくはないだろうか?

先生も罪の記憶を、他の記憶で打ち消したり、無視をしたり、記憶を改ざんしようとできたはずだ。だが先生は裏切りへの対処を取らなかった。叔父からの裏切り、Kへの裏切り、自分自身への裏切り、それを直視する術しか用いなかった。その贖罪の日々から先生は何か生み出すことはできたのうだろうか?と思わずにいられない。

「自由と独立と己とに満ちた現代に生まれた我々は、その犠牲として、みんなこの淋し身を味わわなくてはならないでしょう」「然し恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめてその中からあなたの参考になるものをおつかみなさい。」
先生は手紙で「私」に彼が生涯かけて挑むべき問題を投げかけ、自殺を選びます。

先生にとって自殺とは救い、逃避として選んだのか?最後の刑罰として選んだのか?はナゾだが一般には周囲の人の心を傷つけるのは事実だ。だがKの自殺の本当が絶望か?復讐か?がわからないのは、残されたものにその問題を投げかけられているからだ。

私と先生の出会いは運命だったのだろうか?先生の自殺の真意と人生の課題を引き継ぐ「私」はそれらをどのように背負っていくのだろうと思った。心を持った人間ならば、人間は己の罪で苦しむことになる。罪や孤独から逃げる事ができないのなら、人はそれらとどんな対峙をすれば救いを得られるのか?誰しもが向き合う自分自身の問題の一つであるように思う。
 

どの本でも使える読書感想文の構成の例

最後に、オーソドックスな読書感想文の構成例をご紹介いたします。

①なぜこの本を選んだのか
 ⇒ 書き出し【入賞21パターン】
②大まかな内容を手短かに説明
③特に気になった箇所やフレーズを抜き出す(1)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて紹介
④特に気になった箇所やフレーズを抜き出す(2)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて紹介
⑤特に気になった箇所やフレーズを抜き出す(3)
 なぜ気になったのか最近の出来事や自身の思い出とからませて紹介
⑥著者がこの本を通じ伝えたかったことを想像し考えを書く
⑦この本を読む前と読んだ後とでどのような考え方の変化があったか
 この本によって発見したことや反省させられた点など「本からの学び」を書く

【最重要ページ】感想文を書くにあたっての「コツ」「構成」「話の広げ方」などの詳細は下記のページに掲載しています。

読書感想文の書き方のコツ
(テンプレートつき)

 

「読書に対する考え方の発見があったこと」を感想の中に入れる作戦なら、どのようなジャンルの本でも、感想文の文字数を増やすことができる

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